【銀器①】芸術であり科学。伝統と革新に必要な3つのこと

東京では、昔から銀を用いて器などの生活用品や、様々な装飾品が作られてきた。今回は、その伝統の技を受け継いでいる有限会社 日伸貴金属の上川宗達氏にお話を伺った。

江戸時代から未来へと受け継がれる技と探究心

銀器が東京で作られるようになった歴史的背景は江戸時代に遡る。当時、石見銀山で採掘された銀を貨幣にするのには徳川政府の許可が必要であった。徳川家康が銀貨の発行を許可した場所が現在の銀座となり、その土地が銀の取引市場(座)でもあったため、銀座という名がついた。

銀座が江戸にあったこと、裕福になった商人達が贅沢品として趣向品を求めるようになったことから、江戸で彫金・鍛金などの銀細工が発達し、東京を代表する工芸品の一つとなった。

代々、東京銀器の技法は、平田家を祖とすると言われている。平田家によって受け継がれていた銀器の技は、9代目平田宗道氏の一番弟子であった初代上川宗照氏(上川宗達氏の祖父)に受け継がれた。本来の銀器制作は分業制で、各担当に分かれていたが、日伸貴金属では業界全体の後継者不足の危機感から、自分たちで一通りの作業を行えるようにしたという。物心ついたときから、父(二代目宗照氏)が制作に励んでいる姿を眺め、尊敬し育った宗達氏にとって、後を継ぐことは小学生の時からの夢だったそうだ。

18歳のときに弟子入りしてから20年、それでもまだまだ学ぶことは多いと彼は語る。

「最初、つくり始めたときは『これは芸術や美術だ』と思っていたんです。でも次第に歴史と紐付いていることに気つき、もっと突き詰めていくと科学に辿りつく。銀は化学反応によって様々な変化を見せるんです。例えば銀というのは熱伝導率がガラスが1に対して、約420倍あると言われています。だから冷たいものはより冷たさを感じながら味わえるし、そのうち人間の体温が器に伝わり人肌になっていく。また銀イオンにより味が変わることも科学的に証明されています。」

このように銀の奥深さをについて語ってくれた宗達氏。「一生をかけて追求していきたい」という彼の言葉から、彼の探究心の強さが伺える。また伝統をつないでいくために必要なこととして、下記のようなことを話してくれた。

「伝統と革新を考えたときに『残すもの』『加えるもの』『省くもの』があると考えています。時代を経ても支持され続けるもの、愛されているものは『残す』。その時代の生活様式に合わせて少しずつ試しながら『加える』。そして人々が興味関心を惹かれなくなってしまったものは『省く』。そうやって、先人が作り上げてきた技術を学び、次に伝えていくことが、自分たち職人が一番やらなければならないことだと思っています。」

一度、途絶えてしまった技術を復活させるのは決して容易ではない。明治時代の超絶技巧と言われる作品群を見ていると、学ぶべきことの多さを痛感するという宗達氏。穏やかにしかし熱量高く話す彼は、きっと次の時代へと磨いた技をつないでいくことだろう。

続き:【銀器】銀は人間に一番近い存在。道具作りから始まる銀器の魅力

取材先

有限会社日伸貴金属

上川 宗達氏

日本古来から受け継がれている伝統工芸の技を用いて創意工夫をこらし、作り手から使い手へ心を伝える作品や商品を製作・販売している有限会社日伸貴金属。宗達氏は東京銀器の祖、初代平田禅之丞から11代にわたり技を継承し、父である上川宗照は現代の名工・伝統工芸士・黄綬褒章作家として活動中。
https://www.nisshin-kikinzoku.com/

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